最近

ぼーっとしてたら間違えて呉線に乗ってて呉ポートピア駅まで来てしまった。どこここ?遠くから蛍の光が聞こえる。


自分が好きな服が分からんし今の流行りも分かってないのがやばいかもなと思う。ブーツカットジーンズ好きだけど流行りは10年前くらいらしい知らないけど。仮面ライダー555ブーツカットのズボン履いてる気がします。裾を長靴に入れたときいい感じにだごだごして下の方に雪が入らないようになるのがいい。でも今は雪が積らない所に住んでるからいらない機能だ。
何がやばいって分からんから服屋行ったときいちばん目に留まるのが変わったデザインの服ってことだ。えースゲーと思って見てると店の人間に話しかけられて買ってる。明確なこんなのが着たい意識がないから勧められたら買ってしまう。高くて(変な服は値段が高い)どこに着ていくのか分からない服が増えてきている。(例:ホグワーツ魔法魔術学校の上着、どっかの国の昔のデザインをそのまま使ったズボン)
最近ジオウを見て知らねえやつ出てきたなと思ったら過去の仮面ライダー1話見に行くというのをやって、テレビの人の服が流行りを反映しているのではないかと急に気づいた。春夏秋冬1回30分で見れる仮面ライダーは流行りの把握にいいコンテンツかもしれん。
今日は服屋に流行りを見るぞという気持ちで行って肩広くて丈の短い服が今の流行りではないか?と思って帰ってきた。デザインだけじゃなく着たときサイズがおかしくないかもよく分かってないからシャツは袖丈と肩幅が合ってればいいという認識を破壊されて微妙に困る。xsサイズのシャツを買ったんだけど本当にこれで大丈夫か?店員さんは大丈夫だと言ってたけど家帰って来たらでかいとか小さいとか普通にあるからあれ。

ブックオフ
本が家にたまってたまってしょうがない。でか本棚買ったのにもう入りきらなくなりつつある。だから売りに行かなきゃいけないけど本を売るのはしんどい。ずっと家に並べておきたいしふと本棚を探してあったら嬉しくなりたい。というよりはなかったときの悲しさが辛い。あと一回自分の所有物になったものを他人に渡したくないという気持ちが強いかもしれない。本は売らざるを得ない機会が多いから自覚あるだけで他のものでも売るぞとなったらすげえ嫌だと思うのかも。ものに対してケチ。拾った石を大事にして取り上げようとすると飲み込む実家の犬を思い出した。だから全然売りたくないけど場所がないから売らなきゃならない。
そんなこんなで多少嫌だなとは思ってたけどあんまり気づいてなかっただけで思った以上に悲しいらしく、実家の近くのブックオフで流れてた曲が流れてくるとなんか泣きたくなってくる。前にブックオフの曲で泣いたみたいなことあったけど、最近また聞いてまた泣きたくなって、あの日特別調子悪かった訳じゃなくていつも泣きたくなるのかもしれないと認めた。書いてて思ったけど自分のものを手放すのを嫌がってるだけじゃなくてものと所有者が別れるのを飼い主が犬棄てるぐらいに思ってて悲しいかもしれない。感傷的過ぎる。

文章
自分が過去に書いた文章おえってなる。Twitterぐらいの文量だとならないけどこの日記ぐらいあるとなるなあ。内容についてはこのときはこう思ってたのかへーで終わるし場合によってはすごく面白いとさえ思うけれども、文章が下手で嫌になる。一文長すぎ句読点打ち過ぎ誤字脱字代名詞をちゃんと使え同じことを2回も3回も繰り返すな。長い文章を整合性持って面白く書ける方々を尊敬しております。
なろうとかの誤字でその誤字が何の打ち間違えか考えたりその人がスマホから更新してるかパソコンから更新してるか察するのは面白い。あとR18のあれで作者が実際その大人の玩具その他小道具を持ってるか考えるのも面白い。漫画だと造形を書かなきゃならないから持ってるだろうなと思うことが多いけれど小説だと考え甲斐がある。その作者の作品をいくつか読んで、同じものが何作品かで出てくるかとか、使用方法とか造形説明の具体的さとかから考える。まあ結局のところはリアリティを感じるか否かが大事で、同じ作者でも持ってる感があったりなかったりするからそこがこの競技の鍵になるんですね(?)。答え合わせは一生できないのが唯一の難点。

エヴァまたは田植え
エヴァ見た。面白かった。漫画版の最後の方何が起きてるか全然分からなかったけど分かった気になった。
綾波の田植えが前に進んでて後ろに進んだ方がいいのでは?という気がした。でも小学生のときの田植え体験で前に進んでた気もするし前に進んでなんかいいことあるのかな。植える位置付けは綾波方式の方が良さそうだった。泥になんか六角形の枠をごろごろして印付ける方式だったけどすぐ水が濁って勘で適当に植えた記憶ある。でもあれはあれででかい田んぼだと端から端まで紐張るの大変かな。いや、六角形のごろごろも田んぼ広かったら大変か。
庵野秀明の奥さんの絵本が出てきておおと思った。

見えないものを見る
頭が痛いのが何度かあって病院行ってMRI撮って何の異常もなかった。なんか血管の図みたいなの見せられてすげーと思った。どうなってるのあれ。肉眼で見れない頭の中が分かるのすごい。Wikipedia見たところ位置見る用の電磁波とどんなか見る用の電磁波を二種類出してそれでなんか原子核の状態が変わるからその原子の状態がどんなかを画像にできるらしい。高度だ。なに言ってるかよく分からない。
これを医療に実用化するのは大変だったんじゃなかろうかと思うし今も大変ではないかと思う。MRIのいいとこは頭を割らずに中を見れるとこだと思うけど、取得した信号を画像として処理してそれが本当に正解か確認するのに何匹のネズミとか人間とかが必要だったんだろうか。今使ってる装置がどこかおかしくなって本当の値とは違う像を出していないかとかもどうやって確認するのだろう。同じものを複数装置で計測して値が近いことを確認とかしてるんだろうか。正解が肉眼で見れるからいい感じのもの使って測って見て確認かな。
電子顕微鏡の世話をしたからこういうことを思った。あれは光より波長の短い電子線を照射して光学顕微鏡では見れないものを見る装置なんだけどまあ繊細で大変。なんか設定によって全然違う像を返してきたり同じもの見てるのに装置ごとに像が違ったり、しかも小さくて見えねえもんを見てるから正解が分からん。だから一個基準の装置を決めてそこに他を合わせて行くんだけど見るものによって合ったり合わなかったり色々あってごみ。
電子顕微鏡の仕組みの話は分かったことをまとめたい気がするから別で書くや。